2019.11.12|オアフ島
へなしゅん的ハワイ事典
へなしゅん的ハワイ事典 – カラカウア
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ハワイ王国の王は5代目までがカメハメハという名前なのはよく知られていますが、6代目のルナリロもカメハメハ1世の甥っ子なので血縁者です。カメハメハ系列でない初めての王が7代目デイヴィッド・カラカウアです。
カラカウアは、白人たちに支配されていくハワイ王国をなんとかしたかったようです。世界周遊中に日本皇室とハワイ王国との婚姻を提案したり、サモアなどと同盟を結ぶ「太平洋連合構想」を考えたり。結局、いずれも実現していませんが、ハワイ王国をなんとかしたいと頑張る姿は、国民たちを勇気づけていました。実現できたこともあります。
サトウキビプランテーションで働く労働者を、いろんな国から連れてきました。ハワイに日系や中国系の移民が多いのはそのためです。キリスト教宣教師たちがやってきてから、ハワイ王国ではフラが禁止されていましたが、1874年、カラカウアはこの禁止令を解きます。そして、1886年、イオラニ宮殿で行われたカラカウア50歳の誕生式典で、フラは完全復活します。毎年、ハワイ島ヒロで行われるフラの祭典がありますが、その名前「メリー・モナーク(陽気な君主)」はカラカウアのことなんですね。
53歳、カラカウアはアルコール依存症療養のためにアメリカへ渡り、54歳で帰らぬ人になってしまいます。なんだか可哀想です。ワイキキには、カラカウア通りと名付けられたメインストリートがあり、クヒオ通りとの分岐点にはカラカウアの銅像が飾ってあります。この写真は、ワイキキにあるカラカウア像を撮ったものです。
